創業は19世紀 明治の味を現代に伝える和菓子屋    『越後むつの花本舗 山岡屋』

太田川のほとりに一軒の和菓子屋がある。100年以上の歴史を持つ老舗、「山岡屋」だ。

4代目としてお店を切り盛りするのは、山崎弘一(ひろかず)さん(58)。全国菓子大博覧会で第21回大会より連続受賞中(第24回大会では最高賞である名誉総裁賞を受賞)の和菓子職人である。

国鉄職員の道を諦め和菓子職人へ

山岡屋の創業は、明治28年(1895年)9月15日。村松にある本覚寺のお菓子を用意したのが初めだとする記録が残っている。初代の山崎留七さんは、上野の「岡野」というお店で修業をして、独立した。店の名前の「岡」はここから来ている。

弘一さんは、先代・庄吉さんの息子として生まれた。お店を継ぐつもりはなく、大学生の頃は国鉄職員になることを考えていたという。ところが、国鉄の学内選考に受かったことを両親に伝えたところ、どうやら店を継いで欲しかったようで受験に難色を示す。

「他に店を継ぐ兄弟もいないし、考えちゃったよね。」

弘一さんは、店を継ぐことを決心し国鉄の内定を辞退。金沢の和菓子店に修行に行くことになった。

修行は、皿洗いや、あんこを炊いたりすることから始まったという。「うちにいる時は全然やってなかった。でも和菓子屋の生まれだから空気感はわかるしね。わりと早く慣れたよ」と修行時代を語る。

4年間の修行の後、帰郷して山岡屋に入る。弘一さんの山岡屋人生が始まった。

割れてないクルミ

山岡屋のこだわりは、材料選びだ。「昔よりいいものが入ればそれに変えるけど、材料の質を落とさない。これはずっと変えてない部分だな」

そんな弘一さんの悩みは、材料の確保だ。

「クルミは、値段は海外産と比べて何倍もするけど国産にしてる。味が違うからね。商売のことを考えれば、こだわりすぎかもしれないけどね」

さらに、割れていないクルミを使うお菓子もあるが、実を割らずに取り出す技術を持つ職人の数が減ってきているという。どの業界でも職人の高齢化、なり手不足の問題を聞くが、和菓子の世界でも同様のようだ。

明治のお菓子を現代に

「伝統を守りながら、新しいものを創造していく」それが菓子屋だ、と弘一さんは言う。看板商品である『むつの花』や、羊羹、最中は明治時代からずっと山岡屋で作られているものだが、弘一さんが世に送り出した商品も多い。

『胡桃』というお菓子がある。このお菓子は、蔵にあった明治時代のレシピを、弘一さんが現代風にアレンジして復活させたものだ。「カタカナと汚い字で大変だったよ。「砂糖」が「サト」になってたりね。単位もグラムじゃなくて「匁 (もんめ)」だったり」

山芋をつなぎにつかったお饅頭『薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)』も、弘一さんが修行した金沢から持ち帰って、山岡屋で作り始めた。今や店一番の人気商品だ(筆者も愛好している)。

『胡桃』                      『薯蕷饅頭』

弘一さんの今後の目標は「今よりちょっとおいしいお菓子をつくること」という。「そのためにも、良い材料の確保が重要。正直、腕悪いから。今の人はみんな腕いいのよ。」と笑う。

和菓子は単なる食べ物ではない。その醸し出す雰囲気で人々の気持ちを和ませ、どこか懐かしい気持ちにしてくれる。村松の人は、山岡屋の存在を「当たり前」と思っているかもしれない。しかし、町中でも数が減ってきている中、和菓子屋を抱える地域に住んでいることは幸せなことだと思う。

100年の伝統と共に、山岡屋はこれからも歩み続ける。

越後むつのはな本舗 山岡屋

【本店・工場】長岡市村松町2095-2

【宮内店】長岡市曲新町547-1

長岡駅ビル「越後味のれん街」にも出店

電話:0258-22-1818(本店)