話に花咲く田舎の車屋『金子車体・金子保険サービス』

「お茶飲んでけて」

茶飲み話に花が咲く。車の話は年に数回。地域の車屋「金子車体」の日常の風景だ。

茶席の主は、金子峰子さん(46)と母のマツさん(74)。金子車体の保険部門「金子保険サービス」を担当している。

峰子さん(左)とマツさん

「保険は2の次なんて言うとおかしな話かもしんないけど、気軽にお茶のみに来てもらえるのがいいかな、って正直思ってる。それが田舎の車屋だよね」(峰子さん)

インタビュー中にも、1人また1人と地域のお年寄りが集まる。

農家からの転身

「金子車体」は、自動車会社に勤めていたマツさんのご主人が、昭和46年に独立し自動車の整備・板金のお店として開業したものだ。ご主人の独立にあたり、それまで家業の農業を手伝っていたマツさんも「金子車体」の仕事を手伝うようになる。

「村に生まれて育ったがんだん(筆者注:村で生まれ育ったので)、親父さんよりは顔わかるわけらいね」

婿であるご主人と協力しながら、地域との顔つなぎ役として、マツさんが活躍した。

当初は、事務やお客さんの接待を担当していたマツさんだが、お客さんに大きな事故があったことをきっかけに、保険の代理店業も始めることになる。保険会社の研修体制が今ほど確立されておらず、電話帳程の『保険料早見表』を暗記して仕事に臨んだという。当時は自動車の任意保険がほとんど普及していなかったため、「来る人来る人まるっきり新規のお客さんらこっつぁ」と振り返る。

順調に営業を続けていた「金子車体」だが、平成20年、ご主人が倒れ、マツさんも保険サービスの廃業を考える。しかし、地域のお客さんが多数いることもあり、当時食品卸の会社で働いていた娘の峰子さんに、後継者として白羽の矢が立った。峰子さんは保険の経験は全く無いため、1年間、保険会社の代理店研修などで修行をしたという。「最初はお客さんに説明してても、『あれ、私なに言ってんだろう』っていうことが多々あったよ」というほど戸惑いがあった。毎年のようにある特約の変更など、保険業は「ずっと勉強し続けなければいけない」仕事だという。

従業員から跡継ぎへ

倒れたご主人の跡を継いで、「金子車体」の車輌部門を担当するのが、小川弘信さん(51)だ。元々、従業員として、ご主人(社長)が塗装・小川さんが整備、と分担して仕事をしていた。ご主人が倒れた際、跡を継ぐことを決意し、「金子車体」の看板を背負うことになった。

自動車整備は人の命を預かる仕事だ。「今のお客さんを大事にする」をモットーとする小川さんの仕事は、地域でも信頼を集めている。マツさんも、小川さんは「俺たちと違って気持ちが穏やからよ。仕事も確からと俺は思ってる」と語る。

会社の経営戦略は「私が聞きたいくらい」と語る峰子さん。マツさんも「俺たち営業なんて全然しねえがよ。営業力がゼロらてえ」とため息をつく。外交員の積極的な営業がイメージされる保険業界の中では、一風変わった存在かもしれない。

「時代に逆行してる」とマツさんは言う。正直に言えば、そうかもしれないと筆者も思う。けれど、世の中に一軒くらい、こういう車屋があってもいいじゃないか。「金子車体」でお茶を飲んでいると、そんな気持ちにさせてくれる。

地域のみなさんと一緒に

金子車体 金子保険サービス

長岡市村松町2291

0258-22-1520(保険サービス)

0258-23-1290(車体)