地域の魅力をコーディネート 内藤善幸さん

平成3098日、内藤善幸さん(50)が中心となって企画した「石坂郷フェスティバル」(以下、石坂郷フェス)が開催された。400人が参加し、地域内のイベントとしては過去最大の賑わいとなった。

 

周辺部の宿命

地元・石坂小学校は、「このままの流れで行くと学校の存続が危うい」という程に児童数が減少している。善幸さんは、「特に過疎化が進んでいる所というのは、その地域に魅力が無かったりして(住民が地域を)離れていく」という問題意識を持っていた。

過疎地域の場合は、都市部に比べて住民同士の交流がある、というのが一般的な認識だ。そういった点を「魅力」として打ち出せなければ、利便性の面で条件不利な周辺部の地域は存続できない。しかし、町内の祭りなどの行事は年々縮小され、多くの住民が交流できる場が、ここ数年で失われてきていた。

地域の魅力をつくるため。石坂郷フェスの開催は、地域存続への願いが込められている。

 

 

経験を地域に還元

石坂郷フェスは、発案から数ヶ月での開催となり、急ピッチでの準備が求められた。「組織もお金も無い」状況で開催することができたのは、善幸さんのこれまでの経験によるものである。

善幸さんは、学校卒業後、駅ビル等を運営・管理する企業に入社する。直営の飲食店の店長を任され、多くのアルバイトの管理や販促キャンペーンの実施など、「土日休みが全くない」というお客様第一の商売で、マネジメント・企画業務に携わった。

 

そんな善幸さんだったが、43歳の時、人事異動で本社勤務になり、カレンダー通りの休みになった。休日に開催される子供のバスケットボールの試合を初めて見て、「子供の成長を見れてなかった」と感じたという。

その年、学校のPTAの役員決めがあり、最初は「今まで何もやれてなかったので、罪滅ぼしのつもりで」役員を引き受ける。「やるからには、やらされてるんじゃなくて一生懸命やらなければいけない」という信念のもと、PTAの歴史から勉強し、規則の改正や組織改編などの改革に取り組んだ。

そして、善幸さんのPTA会長の任期中、ブロック研修を主催することになる。ちょうど中越大震災から10年の年。ブロックには川口や山古志といった甚大な被害を受けた地域も含まれている。「多くの方に元気になってもらいたい」と考えた善幸さんは、お笑い集団NAMARAの「お笑い授業」を企画し、大盛況。アクセスの厳しい山古志に300人もの親子が集まった。

 

そういった数多くの経験をもとに実行されたのが、今回の石坂郷フェスティバルだ(NAMARAは総合司会を担当した)。

 

大盛況という結果を受けて、善幸さんは第2回石坂郷フェスティバルの開催に向けて動き出している。「未来を見据えて行動できるメンバー」を募って実行委員会を作るという。

 

「新しいことを始める」のは本当に骨が折れる。そしてそれを「継続する」ことも。善幸さんの新たな挑戦は、始まったばかりだ。

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